78年前、長崎の人口は約24万人、原爆被爆によって1945年12月末までに、73,884人が亡くなりました。
長崎の人口の3~4人に1人は亡くなった計算です。
25歳のアメリカ人の機長が爆弾を投下したときの気持ちを少し想像してみましたが、様々な感情が湧いたともに、世界中において、もうこのような出来事は2度と起きてほしくないと心から思いました。
そして、私の祖父母は被爆者です。
つまり私は被爆3世になります。
昔は被爆者、被爆2世というだけで差別やいじめなどがあったこと思うと
こうして堂々と言えるようになったことは幸せな時代を生きさせてもらっているなと感謝でいっぱいになります。
私が子供の頃、祖父母は戦争の話は全くしなかったですが、祖父は被爆した当日、お姉さんと別れてしまって夜中じゅう探し回って会うことができた、
祖母の叔父さんはどこへ行ったか消息不明でしたが、亡くなってしまっていて合同のお墓に入っていたそうです。
これらは叔母から教えてもらいました。
私の鮮明な記憶の中で、祖父は50代で何度も胃潰瘍や胃がんを患い、吐血をして入退院を繰り返し、なかなか良くならないので、一時期、静岡の静養できる良い場所ですごしていたことをよく覚えています。被爆の後遺症です。
そして最期は人工透析をしていましたが、これも後遺症でした。
長崎は透析病院が多いんです。
祖父は辛い思いを沢山していましたが、いつも私には穏やかで優しくニコニコしている優しいおじいちゃん。
お空の上では、辛い思いはすべて手放して、おばあちゃんと幸せにやってくれてたらいいなと思いました。
これを読んでくださったあなたのご両親を含めたご先祖様もきっと戦争の影響で辛い思いをしているはずです。
命をつないでもらえたこと、今平和で生きられていることに対して、ご先祖様に感謝する機会になればうれしいなと思いました。
そしてこれまで長崎原爆のことは怖くて向き合えなかったんですが、どんな辛い思いをしたか知ることで供養になるかもしれないという気持ちになり、色々勉強しようと思っています。
ブログを通して、このような情報発信ができていることも本当にありがたい気持ちでいっぱいです。
平和を誓い頑張って生き抜いてくれたご先祖様に感謝。